大山崎町商工会

王城守護の八幡さま

kanko6-5-13貞観元年(858)、清和天皇が即位されたころの平安の都は、群盗がはびこり、治安が乱れていた。
「昨夜も、御所から遠からぬところに、物盗りが現れ、何人もの人が殺されたそうですよ」
こうした話が宮中でも、まちなかでもかわされ、いつしか天皇の耳にも達した。《民を安じるには、新しい神様を迎えて、王城の地を譲ってもらうよりない》天皇は、いつしかそう思われるようになっていた。すると、ある夜のこと、天皇の夢まくらに白衣の“人物”が現れ
「われは、宇佐の八幡大菩薩なり。われを王城の地に迎えるべし」と告げて、かき消えた。
夢から覚めた天皇は、さっそく名僧の誉れ高い南都大僧正の行教を召して、夢のお告げを話した。
「それぞ、豊前国(大分県)にまつられている八幡さまの化身でございます。私がまいりまして」
行教は、そう説明するとただちに、豊前国に旅立った。宇佐八幡宮に参籠九十日目、神託がおりて、行教は八幡大菩薩の分神を奉じて帰洛の途についた。
幾十日が過ぎて、行教が都を臨む大山崎町に着いたのは夕方であった。ふと行教が神振山のあたりをみると、薄ヤミのなかに、そこだけ“御照映”が差し、神々しい光を放っていた。「あの地は、どういうところか」
不思議に思った行教が、村の古老にたずねると「嵯峨天皇の離宮があった場所で、聖地です」という。
行教が、その地を訪ね、村人から借りたノミで岩をうがつと、清水がこんこんとほとばしり出て、かぐわしい香気がたちこめた。行教は二度の不思議に、さっそく天皇に使いを出し、このことを伝えた。
天皇もこの話に大いに心を動かされ「奇しきことである。それほどの聖地なら、都に分神を持ち帰らずに、その地におまつりすべし。当地は西国から入ってくる都のノド首にも当たる。そこから京都をお守りしてほしい」と、大山崎町の地にまつることを命じられたという。
やがて、宇佐八幡宮に模した神殿が建てられ、分神がまつられた。大山崎町の村人は「立派な神様をお迎えできて、こんなうれしいことはない」とお供えもチエをしぼった。そのとき、荏胡麻(えごま)の種から油をしぼり出すことを発見、お灯明として神前にささげた。
離宮八幡宮の縁起であり、植物から油をとったはじまりといわれている。油は宮中にも献上され、天皇は「世の中を明るくしてくれた」と大層お喜びだったという。

しるべ

離宮八幡宮。嵯峨天皇の離宮(河陽宮)があったところから名づけられた。油に関する独占権を持ち、かつては円明寺から水無瀬川まで東西4キロの領地を持ち、神官も130人にのぼった。「八幡宮御神領守護不入之所」の石標が残る。石清水八幡宮は、同官の分神をまつったもの。現在の社殿は当時の三分の一以下という。JR山崎駅から徒歩2分、阪急大山崎駅から5分。
〈本文は京都新聞社提供〉

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