大山崎町商工会

下植野南遺跡

s1下植野南遺跡P1050607

住所 大山崎町円明寺一丁田地内
アクセス 阪急「西山天王山駅」より徒歩20分
トイレ なし
駐車場 なし

 

概要

s2下植野南遺跡P1050615

s3下植野南遺跡P1050624

弥生時代と古墳時代における大きな発見がありました。
弥生時代の発見は弥生時代中期の墓である方形周溝墓が80基以上検出されたことです。方形周溝墓とは、隅が丸い方形または長方形のマウンドがあり、周囲に溝が掘られ、マウンドの中央部に埋葬施設がある墓のことをいいます。発見された墓の大きさは平均80㎡で、墓城の範囲が1700㎡にもなる近畿地方でも屈指の広さでした。
古墳時代の発見は古墳時代中・後期の家である竪穴式住居と堀立柱建物が検出されたことです。発見された竪穴式住居は方形で平均面積20㎡でした。この辺りには100基以上の竪穴式住居があり、乙訓地方で最大級の集落であったようです。4世紀後期に造られた土辺古墳も検出されています。この古墳は一辺13mの方墳で周壕の中からは特異な形の家型埴輪が出土しました。この家型埴輪は入母屋造りの高床式で、庇を支える方杖が桁側及び妻側に12本あり、全面を赤色に彩色されています。埴輪を復元してみると高さは100cmになりました。方杖をもつ家型埴輪が発見されたのは全国で初めてでした。
下植野南地区は、川からの恵みと地理的条件から弥生時代中期と古墳時代中・後期頃には大集落が誕生し、淀川水系の中核として重要な役割りを果たしていたと考えられます。

PAGE TOP