百々遺跡
概要 |
掘立柱建物二棟、道路跡及び側溝跡等が発見され、そこから、皇朝十二銭中、和同開珎、万年通宝などが発掘されました。道路跡から発掘された木簡には、「奥胡万七斗 外二升」と書かれていました。胡万とは油の原料のことで、もしも中世の油の原料である荏胡麻を指しているとすれば、大山崎での製油業の発展を示す興味深い資料であるといえます。 この他にも貴族の中でも五位以上の位の人しか着用が許されていなかった金銅製の腰帯の飾金具も発掘されています。質のいい、貴族的遺物が出土したことと、古代文献の記載事項等から貞観3年(861年)に河陽離宮へ国府が移る前はこの辺りに第三次山城国府があったのではないかと考えられます。 |