大山崎町商工会

筍と三浦芳次郎

kanko6-5-15西山山麓には、乙訓名産の筍を産する手入れの行き届いた竹林が広がっています。今日では筍を食用として日常用いていますが、このように筍が食用となったのは江戸時代末期になってからのことであります。
筍が食料として注目された明治時代、乙訓一帯の竹林では筍の増産が計られました。ところがすぐさま生産過剰となって筍の販売価格は下落し、生産農家は窮地に立たされました。しかし、その農家の中にあった三浦芳次郎氏は、阪神方面の青果商に働きかけて筍の販路を開拓し、販売拡張に成功しました。また、三浦芳次郎氏は、綴喜郡、久世郡で産する梨もその販路に乗せて販売し、両郡の生産農家からも大いに感謝されました。
三浦芳次郎氏の篤行を顕彰し、後世に伝えてゆこうと、三浦芳次郎の碑が地元有志や関係者の手によって明治26年6月13日に建立されました。

しるべ

碑は阪急バス停「小泉橋」下車すぐ。近くには“葛原親王伝承地の碑”が建てられた葛原児童公園もある。

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