大山崎町商工会

子供を守る大日如来

kanko6-2-4円明寺村(大山崎町円明寺)は円明寺川(現小泉川)べりの河原に、子供のいのちを守ってくれるという地蔵さんがまつられていた。そのいわれは、わからなかったが、“大日如来地蔵”と呼ばれていた。
江戸時代はじめのころの話。出産の予定日を過ぎた村の若妻が苦しみだした。まる一日陣痛が続いたが、生まれない。このままでは、母子ともにいのちがあぶないと、気が気でない。
「このうえは、あのお地蔵さんにおすがりするしか手だてはあるまい」
必死の願いをこめて、家族と村の女衆たちが、“お百度”をふんだ。よほどの難産だったのだろう、その間も若妻の苦しみは続いたが、ちょうど三日目の朝、“お百度参り”が通じたのか、玉のような赤ん坊が元気な産声をあげた。
「やっぱり、あのお地蔵さんのおかげ。お礼参りに行かなくては」
と、男衆も加わって、村人たちは河原まで走ったが、なんとしたことか、地蔵さんが見あたらない。
「昨夜まで、確かにおられたのじゃが」
「そうだ、きっと難産の苦しみを一身に引きうけて、こん身の力を振りしぼられたのじゃろ。それに違いない」
河原にぽつんとたたずむだけの地蔵さんだっただけに、《それにしても、どこへ行かれたのか》と首をかしげるだけで、手に手に持つ花をその地に供え、何度も何度も礼をいうしかすべがなかった。
この話は村中に広まった。やがて、お産のあとはこの河原で、赤ちゃんの健康を祈るというのが習慣になった。そしていつか、お産の時に使った布などを地蔵さんの跡にほおむって願をかけるようになったという。
円明寺川は、その後、江戸時代に2回にわたって大規模な改修工事があり、名も現在の小泉川に変わった。伝えられる地蔵さんの跡は不明だが、昭和のはじめ、川が改修されたとき大日如来地蔵が一体、川底から掘り出されて安置された。
《この大日如来こそ、あのお地蔵さん》といういい伝えが根強く残り、また、同じ昭和のはじめごろまで、布をほおむる習慣が続いたと、地元の人は話している。

しるべ

大日如来地蔵は、大山崎町円明寺松田の小泉川・松田橋たもとにある。身長約30センチ、りんかくをとどめるだけで顔の表情は不明。〔注釈:現在は新しい地蔵になっています。〕現在、近くのお年寄りが朝夕にお参りするくらいで、素通りする人がほとんどだが、この伝説を知ってか、手をあわす出産前の女性の姿をみかけることもあるという。阪急円明寺バス停から東南へ歩いて10分。
〈本文は京都新聞社提供〉

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