竜王神社の雨ごい
天王山の山すそに広がる円明寺村。昔、8月から9月へ、実りの秋を前に日照りが続くと、村人は竜神をまつる「竜王神社」に集まった。
「あーめー、たーまーえ。あーめー、たーまーえー」
本殿をぐるぐる回りながら、“雨ごい”をした。この円明寺村は水利が悪く、村人はたえず、水に苦しんでいた。ただでさえ水不足なのに、少しでも日照りが続こうものなら、田んぼはたちまち干上がってしまう。“雨ごい”の祈りは、まさに生活をかけたものだった。
さらに昔のこと。天王山から柳谷観音へ向かう山道に池があった。その池に、雨を意のままにして水を支配するという竜神が降り立った。水に苦しむ村人をみかねてのこと。池には金の甲羅をしたカメも住むといい、いつしか「竜王神社」のほこらも建てられ、村の守護神として信仰を集めていた。
“雨ごい”の夜。村人は村の長老を先頭に、ヨシやカヤがうっそうと茂る山道を登る。社頭に着くと、「雨給え、雨給え」。その大合唱は、えんえん、夜明けが来ても続いた。
毎年のように、この祈りはみられた。そして、江戸後期は天明4年(1784)のこと。世にいう“天明の大ききん”が、この円明寺村にも襲った。
「竜神さまにすがるより道はなかろうが…」
村人の必死の“雨ごい”が始まった。三日、四日、五日…。願いが竜神に通じてか、そのうちに、ポツリ、ポツリ、干天の慈雨。大ききんの被害を最小限にくいとめることができた。村人は社前に灯ろうを奉納して感謝にかえた。その後、江戸末期。神社もろとも、農耕守護神の小倉神社(現・大山崎町)境内にうつされた。この“雨ごい”の風習、昭和10年ごろまで続いたという。
竜神の池は、山林に囲まれて現存。かつての“雨ごい”のあとを残しており、小倉神社境内にうつった竜王神社も健在。2メートル四方ぐらいの小さな社だが、いまも“二百十日”の厄日にあたる9月1日、地元の農家から30人ぐらいが出仕する。お神酒どっくりに灯明を供え、厄払いの念仏供養が続けられている。
しるべ
阪急バス円明寺口バス停下車、西へ約15分歩いた所に小倉神社がある。本殿手前に「稲荷」「天神」「若宮」とこの「竜王神社」の4つのほこらが並んでいる。一般の参拝者は素通りすることが多いが、他の3つの社は、下植野、下海印寺、円明寺の氏神さんとしてまつられている。
〈本文は京都新聞社提供〉