大山崎町商工会

山伏の塚の大日さん

kanko6-1-1-1「ひょうざえもーん ひょうざえもーん はようかえしてくれーえ」
 その昔、時代は江戸末期の天保(1830~1844年)のころ。円明寺村(大山崎町円明寺)に農業を営む兵左衛門の家が火事で焼けた。兵左衛門は、どうして家を直そうかと考えあぐねた末、先祖代々耕してきた山伏(円明寺の小字名)の土地を、同じ村の弥衛門に買ってもらうことにした。
 その次の日からだ。弥衛門の夢まくらに大日如来が立つようになったのは。そして如来は呼び続けた。
 「兵左衛門、早く帰してくれ」
 兵左衛門が手離した土地の中に“山伏の塚”という小さな森があり、この中に大日如来地蔵がまつられていたのだ。
 気の毒な弥衛門。この大日如来の毎夜の出現に気味悪くなって兵左衛門と相談、「たたりでもあれば恐ろしい」と、結局、元どおり兵左衛門の所有地として、この大日如来地蔵を守っていくことにした。
kanko6-1-1-2 この「兵左衛門早う帰して」の話は、やがて村中に広まった。その後、この森の神木といわれるカキの木を切り取ったため、災難にあったという話や、また、不治の病にかかり医者からも見離された村人が大日如来に日参、おかげで完治した話などが伝えられた。村人の間では
 「粗末にするとたたりが恐ろしいが、大切にまつっていると、願いをかなえて下さる」
と、この“山伏の塚”を訪れる人が増え、いつしか“大日さん”の呼び名で、村の地蔵さんとして親しまれるようになった。
 この“大日さん”。いまでも昔からこの地に住む農夫の手で毎朝、花や水などが供えられており、また、毎年9月28日の「大日さんの命日」には、尼講の人や近所の人ら十五、六人が“山伏の塚”に集まり、ちょうちんや幕で飾り付けをしたあと、ぼたもちを供えて約2時間、念仏をとなえて供養している。が、田んぼのあぜ道を通らなければお参りできないため、近くの円明寺が丘団地に住む人でも知らない人が多い。

しるべ

阪急バス円明寺停留所から西へ歩いて約10分。右手、田んぼの中にぽっかり浮かぶ直径30メートルほどの円形の森が見える。現在でもこの森の木を切る人はなく昼間でも薄暗い。大日如来地蔵は、高さ約1メートルの石仏で森の中央部に東向きに鎮座。鎌倉時代の石仏ともいわれているが、いつのころからこの地にまつられたかは明らかでない。
〈本文は京都新聞社提供〉

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